わたしのできること



わたしは小学生高学年に
子どもの哲学書や人間関係の本、
複雑な家族関係の小説などを読んでいた。



大人の愚痴を聴いていたし、
同級生の好きな人の話を聞いたり、
聞き出すのは得意だった。(秘密は守ったからね。)



中学生の頃には、

いじめられっ子もいじめっ子も
嫌われている人も人気者も

みんな悩みや不安を抱えているんだなと感じた。


みんな、何かを抱えている。


それを私は感じ、話す機会のある人の
不安、悩みを何とか引き出して
話させてあげなければと思うようになった。


話を引き出すのは得意だった。



でも解決してあげなきゃ、楽にしてあげなきゃ
わたしが何とかしなきゃと思っていたんだよね。






大人になった。


仕事では入退院を繰り返す人、
毎度同じようなことを繰り返すように見える人たちと何年もの付き合いをする。


子育てにも追われ、合ってるんだか合ってないんだか分からない日々。色んなことが不安になった。
そして、問題として現れて、悩んだ。
ずーっと何も変わらない、成長しない、結果に現れない、そんな風に思った(成長・結果を出すことが人生の目的になっていた)。


ひとりで何とかしようとした。
でも、無理だった。




エネルギー哲学®︎と出会い、我に帰った。

人は8割不安で生きていると知った。


『やっぱり、そうだったんだ』と思った。


「人助け」のはじめのはじめは
自分自身だと知った。

自分が癒えてない状態で
他人を癒すなんてできない、と。


何か問題を解決しようとしなくても
ただ、自分を観察すること、
相手が何も求めていなければ、そっとしておくこと、放っておくこと、存在を認識しているだけで良いということ。


変えようとしない。
それが癒しであり、ケアである。


「今」にとって必要以上なケアは
逆に負担。


人は存在が8割だもの。
職業とか結婚して子供がいるとか、いないとかは
2割の話。

存在が8割だよ。
生きているだけで良いの。


あなたが生きているということが
世界の調和となっている。

だから、あなたから浮かんだこと、
何をしても良いの。
何をしても、しなくても間違えてないの。






でも、わたしはさ、
自分や他人の不安を見つけると
何とかしなきゃ、とか
何とかしてあげなきゃ、
と思ってしまうクセがある。

このクセは最近気づいたこと。

そして、勝手に問題を作り上げてしまうクセもある。笑



そっとしとく、放っておく。
見守るでもない、寄り添うでもない。
その人の「存在」を許可。
そこにいるねって。


それだけで良い。


今までの私からしたら
物足りないような、寂しいような
そんな気持ちもあるが


変えられること、変えようとするのは何で?
不安だから?あなたがそうしたから?


わたしが勝手にその人の人生の一点をみて
これはダメだから、ネガティヴだから
変えてあげなきゃなんて、余計なお世話。


人生全体でみたら、
それはとても大事な体験なのかもしれない。


その人の人生にとって、モブキャラの私が
邪魔しないのよ〜って自分に言う。


でも、時々、お節介おばさんだなぁと思いながら
敢えてお節介することもある。笑


結局、いろんな個性ある人間が好きなのだ。
人に興味津々だったのだ。


個性なんてないと思ってる人ですら
その人の雰囲気はその人のものでしかなくて
同じ人なんていないよね😌🎶✨



Lalala Symphony

仲村 彩 BLOG、エネルギー哲学®︎入門講座やお話会の ご案内をしています。

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